というわけでこんにちは、らすねーるです。インターネットから隔離された生活を送っていたため、MTGにほとんど触れることができなくて悲しかったです。でも田舎アドということでマンガ倉庫の800円のオリパに復讐蔦とかコジレックの審問とか入っててヤバかったので結構楽しんでます(これはらすね屋の商品として格安で提供します)。
で、MTGはできないインターネットもないということで暇すぎて携帯でTwitterをちょくちょく見てたんですよね。確か一週間前ぐらいだったかな、いつもの「EDHのガチ・カジュアル論」とか「初心者のやる気をどう出させるか問題」みたいなのが発生してて、やることもないしぼんやり考えてたんですよ。
■そもそもEDHのガチ・カジュアルの境目はどこにあるのか
これが意外とみんな共有できてなくて、そうしない内に「やる気ない紙束デッキ乙wwwwwww」とか「空気読めない即死デッキ乙wwwwwwww」みたいな煽り合いを始める。で、結局「あーもう知らん俺の居るEDHが素晴らしいみんな死ね」というハルマゲドン打ったあとの盤面みたいなTLが完成して終わりっ、みたいな感じになる。
んで、なんていうか割りとなんというか僕個人の意見になるんですけど、ガチとカジュアルの境目は「最速で勝利を追求する構築をしているか」を基準にして良いと思います。僕の友人の一人に、っていうかひらいちくん(@Togenin)の話なんですけど、めっちゃ意味わからんコンセプトのデッキを毎回組む奴がいて、そいつもタニーワから隔離決めてきたり、アニマーがいきなり超でかくなったりするけど、デッキ内のパーツが殆ど「これを置いたら楽しそう」でできてるんで、ガチじゃないとは思うんですよね。でも、ガチじゃないから勝利を求めてないってわけじゃなくて、「どれだけ遠回りしても良いから自分の望む勝ち方をする」というのがポリシーなわけです。あ、あと「金ができるだけ掛からない」もポリシーかも。
で、僕の日記の過去記事見てもらうとわかるんですけど、僕は結構最速勝利コンボデッキ大好きなんですよね。バルソーとかデッキ全部のパーツが勝つために入ってるって言っても過言では無くて、墓地肥やし!マナ!蘇生!勝ち!みたいな。実際勝率はめちゃくちゃ良かったです。だから僕はおそらくガチ側の人間なんだと思います。
というわけで、とりあえず「ガチ・カジュアルの境目は最速で勝利を目指す構築をしてるか」だと思います。この場合の「勝利」は他3人の投了も含むことにしましょう(テフェリーで停滞ロックかけたり、アヴァシン・放浪者の他全員の盤面ぶっぱも"勝利")。めっちゃ異論出そうだけどね。
■ガチとカジュアルは何故わかりあえないのか
「対戦の結果に何を求めているかが違うから」がまず一つ。そして、「求めている物が違うのを想像できないから」だと思います。
一個目の理由は簡単です。一般論でざっくりと言えば、ガチ勢は「勝利」を求めています。言い換えると、対戦の結果の価値は「勝利」が最上だと思っています。にデッキのパーツ全てを勝つためのカードにしてるのですから、勝つためにやってます。他の三人は「勝ちを妨害する相手」でしかありません。一方カジュアル勢は、ガチ勢の皆さんには想像できないことに「勝利」に重きを置いてません。そして、ガチ勢の多くは勘違いしているのですが、カジュアル勢は「勝ちたくない」わけではありません。「無意味な勝ち方を求めない」だけです。この場合の意味は「美学」とか「プライド」とか「拘り」とかそんな感じの物です。「種族を統一したデッキで勝ちたい」とか「このジェネラルでかっこよく勝ちたい」とか、あるいは「あまりお金を掛けずに勝ちたい」でも良いと思います。天秤の片方に「勝利」が載ってるなら、もう片方にそんな"どうでもいい"物がいっぱい乗っかってる状態が「カジュアル」です。
そして、ここで二個目の理由になるんですが、ガチ勢とカジュアル勢はお互いにお互いの天秤の傾き具合が理解できません。いや、これはもう「人間は自分と違う価値観の人間の存在をめちゃくちゃ想像しづらい」ぐらい言っても良いのかな多分。先日「服装ダサいキモオタニートがMTGやってるの辛いぽよ~~~~~~」みたいな記事が炎上してましたが、そんな外面・体面上の問題よりよっぽどこの「想像力」の問題が大事じゃないかと僕は思うのです。「何故わかりあえないのか」とか仰々しく言ってるけど、別になんか自分のリソースを削って相手の事を受け入れろって言ってるわけじゃないです。相手の大事な物を踏み躙るなとかそんな感じの、それこそ誰でもできるような単純な話。「俺は勝利が大事で!お前はスリヴァーが大事だ!そこにはなんの違いもありゃしねえだろ!」
■そもそもMTGの楽しさって何なんだろうね
まあでも、そんなかっこいいラプ&ピースみたいな事言いつつ僕は最速勝利ガチデッキ嫌いです。自分で使ってて何を言ってるんだこいつは、テノヒラクルーかよって思うだろうけど、自分で使ってても大体飽きます。そもそも、なんでこんな記事書こうかと思ったのかも「何故僕は勝てるデッキに飽きるのか」みたいな内省から始まった部分があります。バルソーとかシディシとかほんとあっさり勝てるんですよ。勝てるけどつまらない。で、何がつまらないかを真剣に考えてみたら、ぼんやりと答えが見えてきた。
ここに来てようやくもう一つのテーマ、「初心者惨殺」の問題に入るんですけど、これについて語る人って「なんで僕らは初心者じゃなくなるまでMTGを続けてきた」のかの視点がずっぽり抜けてるんですよね。大体の人は「楽しいから」続けてきてるわけですよ。じゃあ何が「楽しい」の?って事を考えるべきなんです。
勝つのが楽しい?
負けるのは楽しくない?
デッキがちゃんと動くのが楽しい?
強いカードをパックから出した?
ちょっと1分間ぐらい思い出してみてください。
はい、その思い出せたのがあなたの「物語」なんですよね。別にMTGに限らないんですけど、だいたい人って趣味を続けてきたその人だけの物語があるんですよ。僕の場合はずっとMTGwikiを読んでて興味があって、包囲戦のゴブナイトのイベントデッキを買って始めたのがきっかけです。あれ強かったな。そして、友人がMTGに興味持ちはじめて、そこから本格的に……みたいな物語があります。そう、物語があるからゲームは楽しい。最近だと艦これがそんな感じの文脈で語られまくってますけどね。MTGもだいたい同じ感じなんですよ。これ惚気半分の語りなんですけど、らすかの氏ことむつちゃんにMTG教えるとき「迅速VS狡知」にM15をちょっと足した感じのデッキをお互い握ってやってたんですよ。一戦目を普通にルール教えながらやって僕が勝って、二戦目をやってた時の話です。僕は普通に盤面押してからズルゴ出して、手札に火力もあったんです「あ、これはズルゴで殴り続ければ勝ちだな」って思って「戦闘入りまーす!ズルゴでアタック!」ってやったんですよ。そしたら、むつちゃんがめっちゃ笑顔で「これ今打つんだよね?」って言いながら蛙変化を打ってきた。
僕は驚いたね。本当に驚いた。
あわれ、ただのおっさんどころか蛙になったズルゴはブロックされて死んでしまった。そして、そのまま次のクリーチャーを引けなくて僕は負けた。むつちゃんは嬉しそうだった。
そう、物語だよ物語。MTGの楽しさはマクロな物語とかミクロな物語がからみ合ってできてる。初心者相手に合わせた弱いデッキを使うことは、その人にその人だけの物語を作る機会を与えるためにやるべきだと僕は思ってる。パワーバランスが崩れたゲームは、ドラマティックな展開は起きづらい。だから、初心者は面白く無い。だから、「初心者をお客様に見立てる」とかそういう感じじゃなくて、「相手をゲームに引き込むためにエンターテイナー」の目線で向かった方が良いと思うよ、みたいなね。これは本当に完全に持論なんだけどさ。
で、最初の話に合流するけど、なんでEDHのガチデッキは面白く無いのかっていうと、勝ち筋が一個に決まってて物語が生まれづらいから。バルソーとかは特に顕著で、一人でリソースを稼ぐデッキは相手なんて居なくても良いデッキになってしまう。放浪者とかも、ちょいちょいランダムではあるけど、最終的には盤面を全部掃除して殴るだけだ。それは、ある種の人には必要なデッキなんだと思うけど、僕には要らないと思った。要するに「勝利への安定性」と「物語」はどう足掻いてもトレードオフという話。強いデッキはゲームの流れを硬直させてしまう。
■じゃあどうしようか
どうするもこうするもない。多分、この記事を読んだって大半の奴は自分のプレースタイルなんて変えないだろうし。そもそも、「いやこれは俺の意見と全然違うぞアホか」って人もいっぱいいると思う。でも、そう思うってことは「自分はMTGに何を求めているのか」がはっきりわかってるはず。それを周りの人に言い続ければ、多分周りも合わせてくれる、あるいはデッキ構築なりカード資産に協力してくれるんじゃないかな。そういう意味では、結局長々と語ったけど「コミュニケーション、大事!」で終わる話なのであった。
……それこそ、デッキの知識やカードの値段情報よりも身につけ辛いものなんだけどさ。ま、お互い頑張ろうぜ。
で、MTGはできないインターネットもないということで暇すぎて携帯でTwitterをちょくちょく見てたんですよね。確か一週間前ぐらいだったかな、いつもの「EDHのガチ・カジュアル論」とか「初心者のやる気をどう出させるか問題」みたいなのが発生してて、やることもないしぼんやり考えてたんですよ。
■そもそもEDHのガチ・カジュアルの境目はどこにあるのか
これが意外とみんな共有できてなくて、そうしない内に「やる気ない紙束デッキ乙wwwwwww」とか「空気読めない即死デッキ乙wwwwwwww」みたいな煽り合いを始める。で、結局「あーもう知らん俺の居るEDHが素晴らしいみんな死ね」というハルマゲドン打ったあとの盤面みたいなTLが完成して終わりっ、みたいな感じになる。
んで、なんていうか割りとなんというか僕個人の意見になるんですけど、ガチとカジュアルの境目は「最速で勝利を追求する構築をしているか」を基準にして良いと思います。僕の友人の一人に、っていうかひらいちくん(@Togenin)の話なんですけど、めっちゃ意味わからんコンセプトのデッキを毎回組む奴がいて、そいつもタニーワから隔離決めてきたり、アニマーがいきなり超でかくなったりするけど、デッキ内のパーツが殆ど「これを置いたら楽しそう」でできてるんで、ガチじゃないとは思うんですよね。でも、ガチじゃないから勝利を求めてないってわけじゃなくて、「どれだけ遠回りしても良いから自分の望む勝ち方をする」というのがポリシーなわけです。あ、あと「金ができるだけ掛からない」もポリシーかも。
で、僕の日記の過去記事見てもらうとわかるんですけど、僕は結構最速勝利コンボデッキ大好きなんですよね。バルソーとかデッキ全部のパーツが勝つために入ってるって言っても過言では無くて、墓地肥やし!マナ!蘇生!勝ち!みたいな。実際勝率はめちゃくちゃ良かったです。だから僕はおそらくガチ側の人間なんだと思います。
というわけで、とりあえず「ガチ・カジュアルの境目は最速で勝利を目指す構築をしてるか」だと思います。この場合の「勝利」は他3人の投了も含むことにしましょう(テフェリーで停滞ロックかけたり、アヴァシン・放浪者の他全員の盤面ぶっぱも"勝利")。めっちゃ異論出そうだけどね。
■ガチとカジュアルは何故わかりあえないのか
「対戦の結果に何を求めているかが違うから」がまず一つ。そして、「求めている物が違うのを想像できないから」だと思います。
一個目の理由は簡単です。一般論でざっくりと言えば、ガチ勢は「勝利」を求めています。言い換えると、対戦の結果の価値は「勝利」が最上だと思っています。にデッキのパーツ全てを勝つためのカードにしてるのですから、勝つためにやってます。他の三人は「勝ちを妨害する相手」でしかありません。一方カジュアル勢は、ガチ勢の皆さんには想像できないことに「勝利」に重きを置いてません。そして、ガチ勢の多くは勘違いしているのですが、カジュアル勢は「勝ちたくない」わけではありません。「無意味な勝ち方を求めない」だけです。この場合の意味は「美学」とか「プライド」とか「拘り」とかそんな感じの物です。「種族を統一したデッキで勝ちたい」とか「このジェネラルでかっこよく勝ちたい」とか、あるいは「あまりお金を掛けずに勝ちたい」でも良いと思います。天秤の片方に「勝利」が載ってるなら、もう片方にそんな"どうでもいい"物がいっぱい乗っかってる状態が「カジュアル」です。
そして、ここで二個目の理由になるんですが、ガチ勢とカジュアル勢はお互いにお互いの天秤の傾き具合が理解できません。いや、これはもう「人間は自分と違う価値観の人間の存在をめちゃくちゃ想像しづらい」ぐらい言っても良いのかな多分。先日「服装ダサいキモオタニートがMTGやってるの辛いぽよ~~~~~~」みたいな記事が炎上してましたが、そんな外面・体面上の問題よりよっぽどこの「想像力」の問題が大事じゃないかと僕は思うのです。「何故わかりあえないのか」とか仰々しく言ってるけど、別になんか自分のリソースを削って相手の事を受け入れろって言ってるわけじゃないです。相手の大事な物を踏み躙るなとかそんな感じの、それこそ誰でもできるような単純な話。「俺は勝利が大事で!お前はスリヴァーが大事だ!そこにはなんの違いもありゃしねえだろ!」
■そもそもMTGの楽しさって何なんだろうね
まあでも、そんなかっこいいラプ&ピースみたいな事言いつつ僕は最速勝利ガチデッキ嫌いです。自分で使ってて何を言ってるんだこいつは、テノヒラクルーかよって思うだろうけど、自分で使ってても大体飽きます。そもそも、なんでこんな記事書こうかと思ったのかも「何故僕は勝てるデッキに飽きるのか」みたいな内省から始まった部分があります。バルソーとかシディシとかほんとあっさり勝てるんですよ。勝てるけどつまらない。で、何がつまらないかを真剣に考えてみたら、ぼんやりと答えが見えてきた。
ここに来てようやくもう一つのテーマ、「初心者惨殺」の問題に入るんですけど、これについて語る人って「なんで僕らは初心者じゃなくなるまでMTGを続けてきた」のかの視点がずっぽり抜けてるんですよね。大体の人は「楽しいから」続けてきてるわけですよ。じゃあ何が「楽しい」の?って事を考えるべきなんです。
勝つのが楽しい?
負けるのは楽しくない?
デッキがちゃんと動くのが楽しい?
強いカードをパックから出した?
ちょっと1分間ぐらい思い出してみてください。
はい、その思い出せたのがあなたの「物語」なんですよね。別にMTGに限らないんですけど、だいたい人って趣味を続けてきたその人だけの物語があるんですよ。僕の場合はずっとMTGwikiを読んでて興味があって、包囲戦のゴブナイトのイベントデッキを買って始めたのがきっかけです。あれ強かったな。そして、友人がMTGに興味持ちはじめて、そこから本格的に……みたいな物語があります。そう、物語があるからゲームは楽しい。最近だと艦これがそんな感じの文脈で語られまくってますけどね。MTGもだいたい同じ感じなんですよ。これ惚気半分の語りなんですけど、らすかの氏ことむつちゃんにMTG教えるとき「迅速VS狡知」にM15をちょっと足した感じのデッキをお互い握ってやってたんですよ。一戦目を普通にルール教えながらやって僕が勝って、二戦目をやってた時の話です。僕は普通に盤面押してからズルゴ出して、手札に火力もあったんです「あ、これはズルゴで殴り続ければ勝ちだな」って思って「戦闘入りまーす!ズルゴでアタック!」ってやったんですよ。そしたら、むつちゃんがめっちゃ笑顔で「これ今打つんだよね?」って言いながら蛙変化を打ってきた。
僕は驚いたね。本当に驚いた。
あわれ、ただのおっさんどころか蛙になったズルゴはブロックされて死んでしまった。そして、そのまま次のクリーチャーを引けなくて僕は負けた。むつちゃんは嬉しそうだった。
そう、物語だよ物語。MTGの楽しさはマクロな物語とかミクロな物語がからみ合ってできてる。初心者相手に合わせた弱いデッキを使うことは、その人にその人だけの物語を作る機会を与えるためにやるべきだと僕は思ってる。パワーバランスが崩れたゲームは、ドラマティックな展開は起きづらい。だから、初心者は面白く無い。だから、「初心者をお客様に見立てる」とかそういう感じじゃなくて、「相手をゲームに引き込むためにエンターテイナー」の目線で向かった方が良いと思うよ、みたいなね。これは本当に完全に持論なんだけどさ。
で、最初の話に合流するけど、なんでEDHのガチデッキは面白く無いのかっていうと、勝ち筋が一個に決まってて物語が生まれづらいから。バルソーとかは特に顕著で、一人でリソースを稼ぐデッキは相手なんて居なくても良いデッキになってしまう。放浪者とかも、ちょいちょいランダムではあるけど、最終的には盤面を全部掃除して殴るだけだ。それは、ある種の人には必要なデッキなんだと思うけど、僕には要らないと思った。要するに「勝利への安定性」と「物語」はどう足掻いてもトレードオフという話。強いデッキはゲームの流れを硬直させてしまう。
■じゃあどうしようか
どうするもこうするもない。多分、この記事を読んだって大半の奴は自分のプレースタイルなんて変えないだろうし。そもそも、「いやこれは俺の意見と全然違うぞアホか」って人もいっぱいいると思う。でも、そう思うってことは「自分はMTGに何を求めているのか」がはっきりわかってるはず。それを周りの人に言い続ければ、多分周りも合わせてくれる、あるいはデッキ構築なりカード資産に協力してくれるんじゃないかな。そういう意味では、結局長々と語ったけど「コミュニケーション、大事!」で終わる話なのであった。
……それこそ、デッキの知識やカードの値段情報よりも身につけ辛いものなんだけどさ。ま、お互い頑張ろうぜ。
コメント
この記事の存在意義の50%ぐらいですね
ガチカジュ論争はお互いに重きを置いている事柄の差とそれを互いに理解しない点に言えると思います。歩み寄るかどうかより認め合えるかどうかですね
コメントありがとうございます。白とか黒の性質が強いプレイヤーにならないようしていきたいですねマジ。